カバン

 新しいカバンを買った。最近流行りの?ショルダーバッグだ。肩紐の部分がチャックになっていて、開くとリュックにもなる。

 

 以前から使っている古いトートバッグは仕事専用に転身させた。かれこれ5、6年は使っているからか、持つところはだいぶヨレヨレで、角は穴こそ空いていないものの破れてしまっている。だからといって、このトートバッグは友人の結婚式の引き出物でもらったもので、思い入れがあるからそう簡単には捨てられない。

 

 このトートバッグには、他の友人たちの思い出の品もくっついている。お土産でもらったキーホルダーと、観光名所を回った時にもらった缶バッジだ。

 

 他人から見るとボロボロでカッコウの悪いカバンでも、実はどんなカバンよりも価値がある。新しく買ったカバンにも、そういう価値が付くといいな。

意識の外側

 今まで物を無くすことはあっても、記憶そのものが消え去ることはなかった様に思う。それが最近、記憶そのものが消えてしまっていることが多くなってきた。

 なんなのだろう、これは。そう思って記憶が消えた時のことを振り返ってみる。共通する原因は、意識の外側、いわゆる無意識なんじゃないだろうか、と思い至る。

 

 意識の内側にあるものは、ある。意識の外側にあるものは、ない。

 

 井の中の蛙大海を知らずとはよく言ったものだ。

失敗の捉え方

 過去に失敗した身でありながら、元気に明るく過ごしている。

 失敗した時はその事実を見ることにしている。失敗するダメ人間でも、喉元過ぎると心の平安は得られている事実に着目する。

 これまでも、これから先も数多くのミスをするだろう。それでも、楽しく過ごすことが出来るのもまた事実なのだ。

チラシの裏(要するに雑記)

 ()を使うな。介護士時代に指導されたルールだ。なぜ使ってはいけなかったか…忘れてしまった。多分、フォーマットの統一だったと思う。後、介護記録は公式の記録で、国も目を通すから、書き方が決まっているのかもしれない。何れにせよ、()を使った文章はご法度だった。

 ()には私見や私情が入るというのもあるかもしれない。或いは、補足しなくてはならない様な文章は初めから書くなというお達しかもしれない。公の場では、人はいつだって冷静沈着で有能な科学者でなくてはならないのだ(これは皮肉である)。